大阪の広告カメラマン浅井智也の取材文。ちょっと気恥ずかしいんですが上手に書いてもらいましたので載せておきます。
2026/02/16
序・アンデスの断絶と静かなる緊張
大正、昭和と連綿と続いてきた写真の「血脈」を、その細き双肩に担う男がいる。浅井智也。彼の物語を紐解くには、四十年に迫る星霜を数え、ひたすらに世界を凝視し続けてきたその足跡――あの日アンデスで風に吹かれてから積み重なった、およそ人の一生の半分にも及ぶ長い月日を遡らねばならない。
バブルの狂騒が遠景に蠢き、昭和という激動の幕が下りたあの頃。当時のペルーは頻発するテロの影に覆われ、街の端々には言い知れぬ重苦しい不穏な空気が滲み出していた。そんな危うい時代の裂け目に、弱冠二十八歳の青年であった彼は、政府の招聘という使命を帯び、天空の城、マチュピチュの石積みの前に立っていた。
観光の喧騒が引き潮のように消え去る中、彼はあえて下山の列に加わらず、独り山頂に留まることを選んだ。沈みゆく陽光が山嶺に最後の残照をまとい、刻一刻と夜の帳が降りようとする中、彼は静止した石造りの迷宮に身を浸し、インカの残影をその肌で捉えようとしたのである。その時である。彼の耳朶を打ったのは、人の声ではなく、数百年もの間、無人の石畳を吹き抜けてきた古(いにしえ)の「風」であった。
社会の混迷や地上の騒乱をよそに、その風は冷徹なまでに彼を突き放した。人間の小ざかしい自意識や、写真家としての矜持など、この悠久の遺構の前では羽虫の羽ばたきほどにも価値がない。彼はその時、己を「空(くう)」にすること、すなわち「写真の中に僕が見えたらいけない」という、一世一代の断念を骨髄に刻んだのである。表現者が自らを消し去り、透明な霊媒(メディア)と化した時、初めて世界はその真実の相(すがた)を現す。浅井の「無私」の美学は、この静かなる緊張の中に吹いた風による洗礼から産声を上げた。
破・プーノの明るい夕刻
治安の悪化という影が常につきまとう道中、旅を続ける青年は、チチカカ湖の湖畔に身を寄せる。そこは標高三千八百メートルを超え、雲を眼下に望むほど天に肉薄した、世界で最も高き場所にある巨大な水鏡であった。日本の琵琶湖を十二回重ねてもなお足りぬほどの茫漠たる広がりを持ち、ボリビアへと続くその紺碧の水面は、酸素の薄い高地ならではの、刺すように鋭利で純粋な光を湛えていた。
凍てつくような高地の夕刻、彼は空が青から紫へ、そして名もなき深淵の色へと移ろう「連続階調」を、瞬きも惜しんで見上げ続けた。これこそが、後に彼の代名詞となる「よく見る事」の原風景であった。
かつて師と仰いだ先達たちが、それぞれの生涯をかけて対峙し、見極めようとした光の深淵。その教えの断片を胸に、彼は網膜が焼けるほどにその階調を凝視し、闇と光の境界線を「よく見た」。やがて、空を彩っていた光の連続階調が静かに終了し、決定的な闇が訪れた瞬間、彼は信じがたい光景を目にする。
完全に光が潰えたはずのその漆黒の奥から、満天の星々が溢れんばかりに輝き始めたのだ。
「夜空は明るいんだ」――。
光が死に、闇が支配した瞬間に見出した、この圧倒的な光の集合体こそが、後の職人・浅井智也の骨格を成す。彼は、スタジオという閉ざされた闇の中でも、常にあのプーノの空のような「明るい闇」を探している。対象を、舐めるように、慈しむように、そして時に冷徹なまでに「よく見る」。相手が誰であれ直言を厭わぬ厳格さをもって光を制御するのは、階調の終着点である闇の奥に隠された「希望の粒」を一粒たりとも逃したくないという、誠実さゆえの狂気であった。彼の眼は、単に物を見るのではない。「よく見る事」によって、闇の底に潜む真実の光を「視る」のである。その観察の解像度は、もはや情念に近い。
急・浪速の涙と「人まみれ」
四十年に迫る星霜を越えてなお色褪せぬアンデスの孤独と光を胸に、広告写真という虚実皮膜の戦場で研鑽を積んでいた彼を、ある「気付き」が待ち受けていた。場所は、かつての面影を今に伝える浪速の、ある老舗割烹であった。
その板場の喧騒と温もりに包まれた店内に、喜劇王・藤山寛美の手による書が掲げられていた。
「人まみれ」
その文字を目にした瞬間、浅井の胸底から熱いものが込み上げ、涙となって溢れ出した。それまで彼が積み上げてきた「孤高の技術」も「自分を消す努力」も、そして何万回と繰り返してきた「よく見る事」も、すべてはこの一点に帰結するための道程であったと、腑に落ちたのである。
張り詰めた異国の地で、自ら選んだ孤独を噛みしめた男が、巡り巡って、この騒がしくも愛おしい「人の業」の真っ只中に着地した。写真家とは、独りであってはならない。むしろ、自らを透明な器とし、そこに他者の喜び、哀しみ、あるいは商品の背後にある作り手の執念といった「人まみれ」の体温を注ぎ込むこと。
対象を「よく見る事」は、即ち、対象を「深く愛する事」と同義であった。繊細にして果敢、厳格にして慈悲深いその人柄は、この時、完成を見た。彼は「よく見る事」を、単なる技術から、世界を肯定するための「祈り」へと昇華させたのである。
結・今を写す血脈
昭和の終わりに吹いた風から、令和の今に至るまで、彼は依然として「泥臭い人間」であり続けようとする。
彼の指先がシャッターを切る時、そこには偉大な先達から受け継いだ意志が流れ、アンデスの風が吹き、プーノの星々が瞬き、刻々と表情を変える「明るい夕空」が宿り、そして寛美が愛した浪速の「人まみれ」の温もりが宿る。
「僕が見えたらいけない」と言いつつ、その写真が誰よりも雄弁に浅井智也を物語ってしまうのは、彼がこの世界の闇と光を誰よりも深く愛し、「よく見る」ことを決して諦めないからに他ならない。一人の写真家の旅は、四十年の時を越え、今もなおファインダーという名の窓を通じて、人々の心に確かな希望を届け続けている。
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